母の人生②「養女になる」

まだ幼い子供を4人残された、母の実の母親。

気が強い人であったのだとは思いますが、戦後間もない時代、女性が1人で4人の子供を育てるのは困難だったのだと思われます。

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自分の性格が災いしたという

子どもができない夫婦であった、母の実の母親の知り合いだったという女性が訪ねてきます。

4人のうち、1人もらえないかという話になったようです。

母の実の母親からしたら、知り合いに1人でも育ててもらえればありがたい。

4人姉妹のうち、一番下はまだ乳飲み子。

長女は小学生になっていて、自我が強い。

次女はひどい人見知りで大人から見ると可愛げがなかったのだという。

三女である母は人懐こく、お客さんが来るのが大好きな性格でした。

その性格が災いして、もらわれっ子に選ばれてしまったと、母は言います。

その後、長女、次女にも養女の話があったと聞いたような気がしますが、一旦、いっても嫌で戻ってきてしまう。

養女にもらわれた先

養女にもらわれた先の家が良い一家だったなら、幸せだったと思うと母は言う。

その夫婦、すなわち母の育ての両親は、私にとっては祖父母です。

血のつながりはなくても、私にとって「おじいちゃん、おばあちゃん」というのは、2人のことであり、実際に血がつながっている母の実の母親は遠い存在です。

私にとってはやさしいおじいちゃん、おばあちゃんでしたが、母にとってはひどい両親だったといいます。

まず夫(おじいちゃん)が戦争から帰ってくる前に、勝手に妻(おばあちゃん)がもらってきてしまった子供であるということ。

おじいちゃんは最初、驚き、母はイヤな思いをしたといいます。

もらいたくて養女にした娘であるにもかかわらず、母の養女生活は楽しいものでなかったといいます。

貧乏で、やりたいこともさせてもらえなかった、

勉強で良い点数をとってきても、ほめられるどころか「女は勉強なんてできなくていい」とののしられた。

1年遅れの小学生

小学校に上がる年になっても、入学させてもらえなかったといいます。

近所の人から、

「小学生の年なんじゃないの?」

と指摘され、渋々小学校に入学できたものの1年遅れ。

イヤで逃げ出したくて、交番に逃げ込んだといいます。

「入れる施設に行きたい」

と。

施設に入ったほうがいいと思えるほど、養女生活はつらいものでした。

実の母親がたまに訪ねてきたそうです。

連れて帰って欲しい

と心が叫んでいても、言い出せない。

実の母親が子供を育てるために料亭で働き、そこで知り合った既婚男性の子供を産みます。

母にとっては父親が違う妹です。

その既婚男性が裕福だったため、妾になった母の実の母親の生活をだいぶ助けてもらえたそうです。

父親の違う妹が着飾って、実の母親に連れられて訪ねて来た時、

もう自分が帰れる場所はなくなった

子供心に母は絶望したそうです。

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