母の人生①「父親の自殺」

70の半ばになった母親が、

「私の人生はなんだったのかしら」

というのを聞いて、うぅむ、確かにと思ってしまった。

本音をいうと、もしも母が他人であったら、関わりたくないと思うタイプだ。それは子供の頃から思っていたこと。

しかし身内だからという気持ちでつきあってきた。冷めた娘だろうと思われようが、それが本音だ。

母の人生について書けるのは、娘である私だけなのではないかと去年あたりから本格的に思い始めた。

なかなか書き始めることができなかったけれど、先日、父が亡くなったこともあり、少しずつ書き始めてみようと思う。

スポンサーリンク

最初の記憶

母は太平洋戦争が終わる数年前に生まれた。東京生まれだ。

4人姉妹の3番目だったという。

最初の記憶として覚えているのは、空襲警報が鳴る中、母親に手を引かれて逃げ回っていたこと。

「3歳にもならない頃の記憶が残ってるの?」

と聞くと、

「尋常じゃない状況だったから、覚えているんだと思う」

と返ってきた。そうなのか、人間の記憶というのはそんなこともあるのかもしれない。

実の父親の自殺

母の実の父親は体が弱く、戦争には行けなかったのだという。

当時の男性は、戦争に行って国のために戦うことが誇りだったのかもしれない。

今だったら「戦争に行けないのラッキー♪」なのかもしれないが、戦時中の価値観は戦後の今の価値観とは全く違う。

戦争に行けなかった母の実の父親は働きながら妻子を養い、会計士の試験を受けたという。勤勉で子煩悩な人だったということだ。

なにが起きたのかはわからない。

母の実の母親は強い人だ。だから戦争にも行けない夫を責めたのかもしれない。

いえ、責められたわけではないけど、自己嫌悪に陥っていたのかもしれない。

会計士試験の合否通知はなかなか届かなかった。

受からなかったと絶望したのかもしれない。

すべて想像だ。真実はわからない。

とにかく、母の記憶では(といっても3歳にも満たない子供の記憶ですが)、それはある日突然だったのだという。

母の実の父親は自ら命を絶った。

発見したのは長女だったらしい。

長女(私にとっては伯母)は、当時小学生になっていたから、その状態を発見したとき、ただ事ではないと気づいた。

母を含め、幼い妹たちに、「見ちゃいけない!」と言った。

そして、仕事に出ていた実の母親を呼びに飛び出した。

のこされた家族たち、そして…

それは修羅場だったのだろうと想像できる。

家に戻って来た母の実の母親は事態を把握し、半狂乱になった。

とにかく、戦争が終わるか終わらないかの混乱時、母の実の母親は、4人の娘を抱えて、大黒柱だった夫を失った。

母の実の父親が自ら命を絶った翌日、受けていた会計士試験の「合格通知」が届いたという。

もしも「合格通知」が届くのが、あと1日早かったら、命が絶たれることは起こらなかったかもしれない。

すべて、仮定の話。

現実は、一番下は乳飲み子だった娘4人と妻を残し、一人の男が命を絶った。

管理人:グレねこ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする